「なぜ、東京でやりたいの? 」

残念である。
でも、その結果もわからないでもない。
昨日、ある男の子と五輪招致について話したのだが、
彼は私にこんなことを言ったのである。

「なぜ、東京でやりたいの? 」

「ノスタルジー」も「国の威信」も心の中にはない、
少年の純粋な想いから出た一言は、ある意味新鮮だった。
これは第18回大会招致の時にはあり得なかった言葉だろう。
「なぜ東京」が国民的な共通の想いになっていなかったのだ。
「世界に日本を見せる」必要がなくなった現在、
自国でスポーツの大規模な国際大会が開催されることの
素晴らしさやかける想いを国民が共有できていなかったのだ。
思えば、2002年、
「スタジアムだけでW杯をやっていた」日本。
一方、2006年のドイツは「国中、街中でW杯」を行っていた。
国民的に想いを共有できていない国に大会を持ってくることは
大会にとっても、出場選手にとっても「不幸」なことなのかも。

今回の話は、ノスタルジックでナショナリストの「お偉方」の
トップダウンで始まったといえよう。

ここに選手村やスタジアムを作って、築地市場を移して、とか
上から目線で「あのころの夢」を追ってきたが、結局、
「だから東京」というものを国内にも国外にも示せなかった。
この国に「スポーツをライブで楽しむという文化」が根付くには
まだまだ時間がかかると言うことだろう。

あの「お偉方」・・・、今後どうなっちゃうんだろ。

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