GERMANY 2006 Part3
 いよいよ試合当日の朝が来ました。ホテルの朝食は結構種類豊富で、毎朝たっぷり食べることができました。この朝もおかずを中心にたっぷりと食べ、気合いを入れました。
 ここまでバラバラでとてもツアーとは言い難かったこの旅も、スタジアムに向かうバスはツアー会社が用意したものに全員が集結して乗車しました。話を聞いてみると、我々成田から乗った者のほかに関空から乗った人や、同じ成田からでも我々よりも遅い便に乗った人や早い便に乗った人などいたそうで、本当に「継ぎ接ぎ」のツアーなんだな、と思いました。
 バスはアウトバーンを南西に向かいます。さすがアウトバーン、我々のバスもかなりスピードを出しているとは思うのですが、乗用車がどんどん追い抜いていきます。車はしばらく森の中の一本道を走り、その後は風力発電の風車が並ぶだだっ広い畑や草原の緑の中を走っていきます。なだらかな緑が地平線まで続く様子・・・日本では見られない光景です。
 フランクフルトから2時間少し、高速の標識に「FIFA」というものが見られるようになると、バスはアウトバーンを外れ、一般道へ入ります。ほどなくカイザースラウテルンの街の中へ。「地方都市」の雰囲気、だけど緑がとても多く、森の中に街がある、という印象。「住む」のにはいい町なんだろうな、と感じました。
 バスは当初スタジアムのそばに着ける、とアシスタントの人は言っていましたが、スタジアムの近くにバスを着けられないことをどうもツアー会社は把握していなかった様子で、結局、駐車場から暑い中20分近く歩くことになりました。しかし、お粗末なのはそれだけではなかったのです。歩いていくのはいいのですが、地図も何も渡されず、「帰りは同じ道を歩いてこの駐車場まで戻ってきてください」とのこと。初めて来るまったく土地勘のない街の中でそんなこと、ありでしょうか?素人ながら、いいのかこれで?と思ったのですが、その予感は的中。試合後、迷って戻ってこられない人が実際に出てしまいました。バスを近くに着けられないのなら、スタジアム近くに集合場所を決め、そろってから戻ってくるべきだったと思います。
 第1のゲートです。手荷物検査が行われたかな?(少し記憶が薄れ始めている。)警備のドイツ人のお兄さんがすごくにこやかだったのを覚えています。
 このゲートをくぐる前に、朝日新聞の記者の取材を受けました。そしてその答えた内容が翌日の朝日新聞に掲載されました!
 なだらかな坂道を上っていくとゲートがあり、さらに木立の中を抜けてスタジアムに入っていくあたりは私、個人的には、四ッ池公園の陸上競技場周辺のような印象を受けました。
 ゲートを通過し、木立の中を抜けていくと1.FC Kaiserslauternのホームスタジアムとなっている、Fritz-Walter-Stadionに到着です。スタジアムの名前の由来は1954年W杯西ドイツ大会優勝に貢献した、同チームの選手、Fritz Walterの名をとってつけられています。ドイツのスタジアムはネーミングライツの売買によりスポンサーの名を付けたスタジアム名が多いのですが、今大会を開催するにあたってそのほとんどがFIFAからその使用許可が出なかったようです。ただし、このスタジアムについてはそのままの名前でOKだったようです。さすが、国の英雄です。
 ゲート内のオフィシャルスポンサーが提供しているアトラクションの一つです。何か似たようなものを磐田でもよく見かけますが(笑)コカコーラのキャラバンカーに日本のサポが上がり、会場を盛り上げていました。
 第2のゲートです。バックスタンドへの入り口です。いよいよここでのチケットチェックを経てスタジアムに入ります。
 1つめのゲートで手荷物検査、そして2つめのゲートでチケットチェックと、2つのゲートにわけてチェックする態勢は日韓大会と同じでした。
 ただし、日韓大会とちがったのはこの第2のゲートでのチケットチェックの仕方。あの時は半券をもぎるだけでしたが、今回は半券をもぎることはしませんでした。(つまり、受け取った時のままチケットが自分の手元に残りました。)その代わり、画像に写っている機械にチケットをかざし、その機械の表示を見て入場をさせるというものでした。ICチップに反応していると思われます。これでは偽造チケットの通過は難しいでしょう。ちなみに私のチケットは無記名のものでしたがおとがめはなし。安心しました。
 とにかく中に入れてホッとしました。いつものごとく警備員のお姉さんに撮ってもらいましたが、ものすごく強い日差しに照らされたピッチに露出が合ってしまい、屋根の影になった私の顔はすっかりまっ暗に写ってしまいました。フラッシュを強制発光させればよかった・・・ま、いずれ画像ソフトでいじってみたいと思います。
 選手がアップを始める中、選手紹介が始まります。能活はスタンドに向かって手を振りながらいつもどおりのアップを始めました。前日からの「お祭り」ムードも消え、いよいよ戦闘モードです。
 かなりの日本サポが入っていましたが、青一色にすることはできず、「ホーム化」はできませんでした。しかし、おそらく日本協会がチケットをさばいたエリアでしょう、青一色のゾーンがあり、そこにあの巨大ユニが広げられました。この時ばかりは反対側のオーストラリアサポも少々ビビッたようで、一瞬静まりました。(気持ちよかった!)
 ご覧のとおり反対側は黄色一色です。そしてイングランド的な大声がスタジアム中に反響します。腹に響く「オージー!」コールにはちょっとまいりました。
 選手入場です。上手い下手の問題ではなく、出せるかぎりの声で「君が代」を歌いました。しかしその後の地響きのようなオーストラリア国歌にはやはり「押されて」いました・・・。
 運命の90分のスタートです。私は立って跳ねることはしませんでしたが、バックスタンド中段ぐらいからピッチに届くように声を振り絞りました。あんなに声を出したのはいつ以来だろう、2002年の時も、磐田の完全優勝の時もあんなに声を出すことはしなかったのではないかと思います。はるか東の方から画面を通じて声を送っている何千万人の分も、今ここにいる自分が声を出さねば、という気持ちがそうさせました。
 こんなに集中している代表を見るのは初めて、と思えるぐらい、出だしの守備は完璧でした。しかし集中している分、ミスを恐れるためでしょう、攻撃には固さが見られ、直前のドイツ戦で見られた連動性が全くと言っていいほどありませんでした。そんな中で中村のFKが決まります。小さいですが、喜ぶイレブンです。
 喜びに沸く「青い」スタンドです。「勝ち点3の夢を見た」瞬間です。しかしこの日、同じような光景を再び見ることは、ありませんでした・・・。
 その後も攻撃は活性化することなく、時間だけが過ぎていきます。前半が終わった時には胃に穴が空きそうでした。
 「あれだけDFががんばっているのだから、能活がスーパーセーブを連発してるんだから、攻撃はそれに応えないと・・・。」と思ったものです。しかし刺すような日差しと30度を超える暑さに選手の動きは鈍くなり始めます。私は「この1点は守れないかもしれない。」と思い始めました。そして能活がスーパーセーブで相手のFKをはじき出した後、恐れていた出来事が起こってしまいました。しかし・・・これは「悪夢の始まり」に過ぎなかったのです。
 1点を守りきるどころではなくなりました。このままでは勝ち点1すら危うい、と思うようになりました。そしてそれは現実となりました・・・。
 3点目を入れられた時には私自身「軽い記憶喪失状態」になっていて、どんな状況でどんなシュートを決められたのか、覚えていません。試合終了後、オーストラリアサポの歓声が反響し、周囲の席で狂喜乱舞する姿を見なければならないことがどれだけ屈辱的だったことか。試合に負けた悔しさもありましたが、何より「日本代表サポであることへの誇り」を失ったことが本当に悔しかったです。
 周囲の席のオーストラリアサポと握手したり、Hugしたり、言葉を交わしたりすることで、何とかその誇りを地に落とす寸前で持ちこたえて支えていた、という感じでした。