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泊まったところはサウナ&カプセル「キュア国分町」というカプセルホテルでした。結構ディープな繁華街の中を歩いていくのですが、近くに交番もあるからか、その翌週に宿泊した錦糸町のカプセル周辺よりは治安はよかったかな(!?)(^_^;)
カプセルは新しい木の香りが漂う木製の横型2段ベッドで、コンセントとヘッドフォンが完備。コンセント完備というのは、スマホとデジカメへの充電が必須な私にとって、とても助かりました。お風呂もサウナ、内風呂、露天と充実していて、言うことなしなのですが、ここの弱点はレストランの終了時間が早いこと。午前0時で終わってしまうのです。その後はリクライニングシートが着いた休憩室からビールやおつまみなどのオーダーができるのですが、メニューが限られてしまうのが残念です。初日の夜は風呂から出てくると午前0時過ぎ。休憩室にてビールをいただきました。(ちなみに2日目は早い時間に入って、レストランでたっぷりいただきました。) |
2日目の昼・夕食です。駅ビルの牛タン通りの中にある「利休」で牛たん1.5人前定食をいただきました。0.7人前をビールのつまみとし、残り0.8人前をご飯のおかずに。ちょっと量が多くて、カミカミしているうちにあごが疲れてしまいましたが(^_^;)、「仙台」をかみしめながら味わいました。ご飯は麦飯、とろろ、テールスープもついていて満足。
ところで、どうして急に2日目の夜になってしまったか、2日目の日中は何をしていたのか、というと、それはちょっとページを分けた方がよいかと思い、別ページに入れました。なぜか・・・、2日目日中は内容的にも重く、深い内容で、「飲み、食い、遊び」というのとは一緒にしない方がいいのではないかと思ったからです。私の被災地訪問記は、この後の別ページでご覧ください。(ページ下にリンク有り) |
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駅ビルで牛タンをいただいた後は、今夜も地下鉄で勾当台公園駅へ。昨日と同じキュア国分町に戻りました。牛タンでお腹がいっぱいになっていたので、風呂に入って汗を流し、少し腹がこなれるのを待ってホテル内のレストランへ。大画面テレビでTVタックルなどを見ながら、のんびりとビールを楽しみました。 |
| 3日目。2日目と同じく、地下ホームから仙石線に乗りました。昨日と全く同じ時間の同じ電車でした。最終日のこの日は本塩釜で下車。塩釜市内の散策からスタートしました。 |
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本塩釜駅から塩竃神社に向けて歩きました。かつてはこのあたりが海岸線だったようで、芭蕉船出の地の碑が、この隣りにありました。 |
| 塩竃神社に至る道路沿いは、昔の町なみの保存、復元に努めているようでした。電線の地中化はもちろん、歩道沿いにいろいろなものが昔風に作られていました。これは街灯。このほかにも、電線のトランスをむき出しにせず、格子状の木製の枠で覆うなどしていました。私の自宅の周辺でも昔の町なみの保存・復元への取組を行っていて、最近工事が始まったばかりですが、大いに参考になります。 |
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塩竃神社の表参道下に到着です。塩竃神社は陸奥国一之宮で、この脇の石柱には「東北鎮護」と書かれています。高台の上にあり、東日本大震災の時には市内に押し寄せた津波から逃れるために、多くの人が境内に避難したそうです。境内に上がるためには、このほかに東参道、七曲坂など、3つの参道があるようですが、202団の石段で昇るこの表参道が一番キツイようです。 |
| 唐門を入って正面にある左右宮拝殿です。この奥にある左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を祀っています。またこの右手には、鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を別宮で祀っています。かつては芭蕉も参拝するなど、1000年以上に及ぶ歴史を思いながら、私も心を込めて参拝しました。 |
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塩竃神社から降り、9年前に訪れた際にもここから船に乗船したマリンゲート塩竃にやってきました。見た目は9年前と全く同じ状態です。しかし、ここからの被災地中継を何度か見た記憶があります。この周辺一帯もあの日は大変な状態だったのでしょう。 |
| マリンゲート塩釜内の乗船券売り場で乗船券を購入し、生ビールを購入して、飲みながら船を待ちました。すると、壁に掛かっていた写真に目が留りました。それは震災時の塩釜地区や、このマリンゲート内・周辺の状況を撮影したものでした。見た目こそ、9年前と何ら変わっていないように見えますが、やはり大変な状態だったのです。 |
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塩釜から松島に向かう観光船です。かっぱえびせんをもらいに寄ってくるカモメたちも9年前と変わらず。津波の時は君たち、どうしていたの・・・? |
| 芭蕉がたどったコースを追いながら、松島に向かいます。9年前に見た仁王島、変わらずありました。よかったです。しかし、回っていくうちに見た島の中には、震災による津波のために形が変わってしまったものもありました。 |
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9年前にも訪れ、当HPの9年前の訪問のコーナーにも画像がある五大堂です。あんなに海のそばにあるのに・・・無事だったようです。807年に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したのが始まりで、1604年、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先だって建てたというこの建物、松島を代表する文化財で、国から重要文化財として指定されているだけに心配していたのですが、被害がなくて何よりです。 |
| 松島の土産物店の店頭で見かけた焼きホタテです。ふだんなら通り過ぎてしまうものでしたが、手書き看板の「石巻雄勝産ホタテ貝焼き、震災後1年5ヶ月ぶりやっと入荷!!」の文字に、財布に手を伸ばしました。やはり前日に訪れた石巻の様子が頭に残っていて、何とかこういう形でも被災地の役に立ちたい、との思いから購入しました。中からじゅわっと出るうま味たっぷりのつゆを味わいながら、ビールと一緒においしくいただきました。 |
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瑞巌寺です。9年前に訪れ、その空気感に心を打たれたお寺です。今回は国宝である本堂は平成の大修理と言われる保存修理中で、入ることができませんでしたが、同じく国宝の庫裡と、その裏にある大書院にて、御本尊や藩祖政宗公らの位牌などを拝むことができました。 |
| 瑞巌寺本堂などは津波の被害をまぬがれたということは前から聞いていました。しかし建物こそ被害はなかったものの、境内に津波は入り込んでいたのです。参道の途中に何気なく立っている「津波到達点」の立て札・・・ということは、ここから下は・・・?と改めて自然の恐ろしさを感じました。 |
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塩竃神社参拝+9年前の訪問地の再訪と、観光一色の最終日でしたが、陽がだんだん傾いてきました。遅くならない程度の時間に家に帰り着きたいと考え、16時過ぎには仙台駅へ。いろいろ調べると、東京からの接続がうまく行くやまびこ148号は16時44分発。仙台駅での時間的余裕があまりなく、そのため、念願の「最終日は三陸産ネタの寿司を食べて帰る」という願いをあきらめざるを得ませんでした。その点は少し心残りでしたが、翌日に疲れを残さないことを優先して乗り込みました。 |
| 実り始めた稲穂が一面に広がる光景を車窓から見ながらの帰路となりました。でも往路とは異なる西日に照らされた夕暮れの風景ということ、その光線の傾きと日差しの和らいだ様子に夏の終わりを感じながら、少しさびしさを感じたりして・・・。 |
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