宮城スタジアム Part2

 2012年、夏。東北に向かいました。震災から1年半、もっと早く向かうべきでした。しかし、余震が続く中で、まだ東北に出かけることが許される段階ではなかったり、仕事が忙しかったりで、結局震災後1年半、「東京を越えられず」に今日まで来てしまいました。そのため、この夏は「サッカー抜き」でも東北に行こう、「その場」に立とう、そして「その場」で考えよう、と思っていました。そんな折、U-20の女子W杯が宮城スタジアムで開催されることを知りました。ユアテックでないことは残念でしたが、これはいい機会、と考え、夏前から情報収集を始め、スケジュールを調整して遠征を実施することにしました。
 9年ぶりの宮城。震災から1年半後の宮城。若いなでしこを応援しながら、「その場」を歩き、考えてみたい。そんな想いでの宮城遠征となりました・・・。

旅行日 2012年8月19日〜2012年8月21日(2泊3日)
観戦スタジアム 宮城スタジアム
観戦試合 FIFA U-20女子ワールドカップ 一次リーグA組第1節
U-20女子日本代表vsU-20女子メキシコ代表
利用交通機関 往路:
東海道本線利用で浜松駅へ。浜松駅から東海道新幹線で東京へ。東京から東北新幹線で仙台へ。仙台から東北本線にて利府、利府駅前から宮城交通シャトルバスにて宮城スタジアム着。
復路:
宮城スタジアムから宮城交通シャトルバスにて利府駅へ。利府駅から往路同様、仙台駅、そして仙台市営地下鉄にて勾当台公園へ。徒歩で移動し、キュア国分町泊。
翌日は勾当台公園から仙台市営地下鉄にて仙台駅。JRに乗り換え、仙石線にて松島海岸駅へ。松島海岸駅から代行バスにて野蒜駅へ。野蒜駅周辺を歩いた後、野蒜駅から代行バスにて矢本駅へ。矢本駅からJR仙石線にて石巻へ。石巻市内を歩いた後、石巻駅から仙石線、代行バス、仙石線、市営地下鉄と乗り継いで、勾当台公園から徒歩にてキュア国分町2泊目。
3日目は勾当台公園駅から仙台市営地下鉄、仙石線を乗り継ぎ、本塩釜へ。本塩釜駅から徒歩で、塩竈神社に参拝。その後、徒歩でマリンゲート塩釜へ移動。松島観光船にて松島海岸へ。五大堂、瑞巌寺などを参拝後、仙石線で松島海岸駅から仙台駅へ。その後、東北新幹線、東海道新幹線、東海道本線を乗り継ぎ、帰宅。
 東北遠征の始まりです。前夜、磐田でのリーグ戦があったため、夜行高速バス等の使用はできず、磐田戦の翌朝、JRでの出発となりました。この夏、「何はともあれ東北へ」という思いの実現のために、猛暑の中、東海道線に乗り込みます。
 浜松から東海道新幹線です。この日はJRの新幹線自由席回数券が繁忙期のため使用不可。残念ながら、普通乗車券を購入しての乗車となりました。ただ、片道600キロを超える長距離のため、「往復割引」が効くこととなりました。
 東京駅に到着です。仙台まで1時間半程度で行ける「はやて」の指定席が確保できなかったので、「やまびこ」への乗車となりました。「はやて」よりも途中の停車駅が多く、時間がかかることになり、ややもどかしい道中となりましたが、東海道とは違う、東北ならではの景色を楽しんでいこうと、気分を切り替えて行くことにしました。
 今となっては珍しい言葉でもステッカーでもありません。しかし、「ここに書かれている現実のど真ん中」に今から飛び込んでいくのです。指定券を探して東京駅内をドタバタ飛び回っていた自分でしたが、これを見て、また少し冷静さを取り戻し、そして出かける前に感じていた重苦しい気持ちに再び包まれることとなりました。
 昼時の太陽を後ろに背負い、左からも、右からも、光が差し込まない、つまり、北に向かっている、ということを感じながら走ります。宇都宮を過ぎると右手に山々が見え始めました。浜通りと中通りが区切られ始め、福島県に入ります。あの山の向こうには・・・今も立ち入ることが許されない、厳しい状態の土地が広がっているのでしょうか。
 福島駅に到着しました。ここまでいろいろなことを考えながら新幹線に揺られてきました。被災地に軽々しく足を踏み入れることに対して「いいのか? 」という思いでした。しかし、この福島駅のホームに掲げられたフラッグを見て、少し心が楽になりました。「あなたの旅がふくしまの元気です。」今回福島は申し訳なく通過するだけなのですが、私の旅が被災地の元気につながってくれるのであれば、そう考えると「今回の旅は誤りではない。」と思えてきて、少し元気になりました。
 やまびこが仙台駅に到着しました。9年ぶりの仙台、そして震災後初の被災地入りです。
 ところで・・・着いてから戸惑ったことが。駅内に宮城スタジアムへの行き方やU-20女子W杯があることなどについての広報的なものが全く表示されてないのです。(ポスター一つない!)一瞬、日を間違えたのか、と不安になり、スマホで確認したほどです。静岡で行うSBSカップもそうですが、この年代の大会は運営主体が大体県の協会みたいなところで、部活の大会レベルの試合開催のノウハウしかないからなのでしょうか、運営側に「興業」という意識が不足しています。10年前のW杯開催経験はどこへ?宮城県の協会というか、運営側の広報力不足に「喝!」です。
 当初の予定では、一度今夜の宿にチェックインしてから荷物を置いてスタジアム入りする予定でしたが、「はやて」に乗ることができず、時間がかかってしまったため、宿には向かわず、荷物をコインロッカーに預けてそのままスタジアム入りすることにしました。ユアテックなら地下鉄一本なのですが、宮城スタジアムは東北本線(支線?)+バスということになります。本線とは違う、「利府行き」の電車にしか乗車できません。
 終点の利府駅で下車して、バスに乗り換えます。9年前に訪れた時にあった臨時バス乗り場はなくなっていて、周りにも家が増えました。ここまで来ても相変わらず大会に関する表示らしいものはありません。ただ、少し「それらしい」人たちが増えてきて、ホッとしました。メキシコ人らしいサポーターもいて、U-20女子とはいえ「W杯」なんだな、と感じました。
 そんな写真を撮るのはよくないのだろうか、なんて気持ちがはたらいて、結局撮影しなかったのですが、利府駅から宮城スタジアムに向かう道中で、道路脇の電柱が不自然に傾いているのが目につきました。震災の痕跡だと思われます。また、道中で見かけた工事現場の看板に「震災復旧」と書いてあるのも見つけました。復旧・復興はまだ途上なのです。そんなことを考えているうちに、スタジアムに着きました。2003年以来、9年ぶりの宮城スタジアム。あの時にも見た、2002年の名残の看板、今も残っていました。ただ、塗装は大分色あせていました。10年の月日の経過を感じました。
 スタジアムに入りました。既に第1試合のニュージーランド対スイスが始まっていました。スタンドを見回すと、バックスタンド上段に左のような横断幕が。世界中からの復興支援に感謝したいという宮城の人たちの気持ちの表れでしょう。
 東京駅では昼食を食べる間もなく新幹線を乗り換え、また、車内が結構混んでいたこともあって、車内販売で駅弁を購入することもできませんでした。そこで、既に夕食の時間になりかけていましたが、遅い昼食です。それにしても・・・売店の列の長いこと長いこと。そりゃそうでしょう。メインに一つ、バックに一つぐらいしか売店がないんだもの。完全に「興業」としての運営を間違えています。20分近く並んだかな、ようやく手に入れた牛タンカレーです。
 日が暮れた頃、メインスタンドと、バックスタンド中央、そして日本側ゴール裏の席が少しずつ埋まってきました。でも、このチームが2週間後に国立に3万人を集めるようになるなんて、この時はだれが想像したでしょうか。選手入場です。
 試合は4-1の快勝でした。ロスタイムの1失点は余分でしたが、柴田の先制点から始まり、猶本、横山、田中陽子と、取るべき人が点を取り、4得点という快勝スタートでした。そして、何より彼女たちが、本当に「楽しそうに」サッカーをする姿が印象に残りました。この後私が2度国立に足を運ぶほど、はまっていくきっかけになったゲームでした。
 帰りの電車の時間を気にする必要なくスタジアムで勝利の余韻を楽しみ、そして夏の終わりの夜風に心地よく吹かれながらバス乗り場に向かいました。こんな余裕はお泊まり遠征のよさでもあります。利府駅に待っていた帰りの電車に乗り込み、仙台都心に戻ります。
 仙台駅でコインロッカーに預けていた荷物を取り出し、地下鉄で宿のある勾当台公園駅に向かいます。仙台市営地下鉄には初めての乗車です。