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名古屋駅23時ちょうど発のJR東海夜行高速バス「セレナーデ号」です。広島駅新幹線口着は定刻よりも少し遅れ8時過ぎでした。前回の新潟行きに続き、今回も夜行バスの車中ではあまりよく眠れませんでした。何か「どうでしょう」の大泉洋やミスターのつらい気持ちが少しわかるような気がしてきました。 |
新幹線口から在来線側の入り口に移動します。駅周辺の案内板を熟読し、本日のプランを頭の中で描きます。街を移動するのに欠かせない手段である路面電車に乗ることにし、駅前の路面電車の駅に向かいます。昭和の時代から使っていると思われるレトロな電車もあれば、フランクフルトあたりを走っていそうな3両編成の大型の最新の車両もあります。このアンバランスさが何か素敵です。1日乗車券を購入し、宮島口方面行きの電車に乗りました。 |
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宮島口行きに乗ったとは言っても、宮島に向かうわけではありません。電車を降りたのは「原爆ドーム前」。私にとって学生の時以来の原爆ドームで、世界遺産登録後初の訪問ということになります。周囲の建物がどんどん高層化していく中でドーム自体は特別大きさを感じなくなりつつありますが、すすけて華やかさもなく、また鉄骨やレンガ片がむき出しになっているこの建物はやはり異様で、周囲から「浮いて」います。あの日、あの時にこの建物に起こった悲劇を思うと、せつなくやりきれない気持ちになります。 |
平和記念資料館へ入りました。初めて訪れた時よりも建物が増え、展示が増えたような気がしました。今回の見学で初めて知ったこととしては、当初原爆投下都市の候補に京都も含まれていたことや、原爆を使用する決断をするにあたってその理由は「戦略上やむにやまれぬ事情」からではなく、その膨大な開発費用に対する国内世論の反発を納得させるためと戦後の国際社会でソ連よりも優位に立ちたいためだったことなど、驚くべき内容も含まれていました。
右の画像は銀行の玄関で開店を待っていた女性が座っていたところだけ黒ずんだ影が残った石の階段です。銀行の改築の際にこの資料館に寄贈されたとのことです。 |
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平和記念公園にて。学生の時も同じ場所で写真を撮っているのですが、比較・・・するのはやめておこう。
この場所も61年前までは家や商店が建ち並ぶ広島の中心街だったのです。 |
ドーム、平和記念公園、平和記念資料館と、昼食を食べるのも忘れてじっくりと回りました。満足行くまで見て回り終わった後、遅い昼食を、ということで八丁堀の中央通りからちょっと入ったところにある「お好み村」に向かいました。学生の頃に来た時とはちがう建物になっている様子。その時にもお好み焼きをいただいた、その名も「カープ」というお店に入りました。当時と同じ店名ですが、店員さんは若い人で、「世代交代」しているのかな。焼いていただいたそば入りのお好み焼きは美味!ふっくら焼けた生地と絶妙な触感の具材、そしていい香りのソースに生ビールもおかわりです。
ところで、お好み村のすぐそばに「お好み共和国ひろしま村」というのがあったのですが、これって同じようなもの?なのでしょうか? |
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なるべく経費を浮かすということと私の風呂好きな性格もあり、宿泊はカプセルホテル。のんびり風呂に浸かれて1泊4000円でおつりが来るということで、楽天トラベルで即決です。一度チェックインした後、スタジアムに向かう前にひとっ風呂。体中の疲れがほぐれ、また昨夜の浅い眠りもあって「このまま寝てしまいたい」とさえ思ったぐらい。でも、今思えばそれでもよかったのかも。
ちなみにこの周辺である「流川通り」は昼間と夜では風景が一変します。サイフがもつか、または胃腸と肝臓がもつか・・・みたいな「心ひかれる」世界になります。居酒屋からクラブまで何でもあり。空車のタクシーの渋滞もすごかった・・・。 |
都心からビッグアーチのある広域公園まではアストラムラインという新交通システムが通じています。広島の都心から向かう場合は、路面電車の「本町」停車場からアストラムラインの始発駅にもなっている地下駅に移って乗車するか、広島駅からJR可部線で大町駅まで行き、そこでアストラムラインに乗り換えるかします。ただし・・・街からは遠いですよ。始発から終点まで乗るんだもの。1時間ぐらいはみておいた方がよいでしょう。 |
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終点の広域公園駅で降りるとそこからは上り坂。気が利いてるな、と思ったのは、往路のみ無料シャトルバスが出ているのです。おそらく歩いても10分程度だとは思うのですが、夏の暑い時などには嬉しいサービスです。バスを降りるとそこからビッグアーチはすぐそこです。 |