茨城県立カシマサッカースタジアム(その2)

 かつてはJの頂点を争うライバルでした。ここを訪れるのも初めてではありません。しかし、それはもう10年以上前のことです。2001年Jリーグチャンピオンシップ第2戦、延長前半の終了間際、忘れもしない小笠原のFK一発に沈んだあの悲劇は、今も記憶の底に残っています。当時はこのサイトの開設前で、デジカメは持っていったものの、ホームページを作るに足るだけの画像は撮影していませんでした。その後、こちらを訪ねる機会はなく、今に至っていました。今年はこの「元・クラシコ」が夏休み中の開催ということで、ぜひ久しぶりに訪ねてみたい、と決心し、遠征を敢行しました。結果は・・・。でも、久しぶりにこちらを訪ねられてよかったです。東京からの便は意外とよいこともわかり、デーゲームなら日帰りもできそう。これまでの「異国」イメージから、少し近づいたような気がしました。

旅行日 2012年8月11日〜2012年8月12日(1泊2日)
観戦スタジアム 茨城県立カシマサッカースタジアム
観戦試合 ジュビロ磐田vs鹿島アントラーズ
利用交通機関 往路:
JR東海道本線利用で浜松まで。浜松からJR東海道新幹線で東京。東京駅八重洲口バスターミナルから関東鉄道高速バスで鹿島神宮駅へ。ビジネスホテル鈴章にチェックイン後、鹿島神宮駅前から路線バス(?)にてスタジアムへ。
復路:
スタジアムから徒歩にてJR東日本カシマサッカースタジアム駅へ。鹿島臨海鉄道にて鹿島神宮駅へ。ビジネスホテル鈴章泊。翌日、徒歩にて鹿島神宮を参拝した後、鹿島神宮駅前から関東鉄道路線バスにて銚子駅へ。銚子電気鉄道にて犬吠へ向かい、さらに徒歩にて犬吠埼周辺を散策。散策後、銚子電気鉄道にて銚子駅へ戻り、駅前から千葉交通高速バスにて東京駅八重洲口バスターミナルへ。東京からJR東海道新幹線で浜松へ。さらにJR東海道本線に乗り換えて帰宅。
 試合後は往路と同じではつまらないということで、電車で帰ることにしました。鹿島サッカースタジアム駅は試合開催日のみ営業するJR東日本の駅です。また、この鹿島サッカースタジアムと鹿島神宮駅の間はれっきとしたJR東日本の路線です。しかし、駅の出札業務を行っているのは鹿島臨海鉄道の職員の方々でした。
 電車が入線します。JR東日本の路線ですが、鹿島臨海鉄道の車輌が入ります。鹿島神宮行き。ほとんどが鹿島サポです。磐田サポはどうしているのでしょうか・・・。実は、私自身も宿泊先を探すにあたり、最初は神栖方面の新しい、温泉付きのホテルを第1候補にしたのですが、スタジアムと神栖を結ぶ公共交通機関が高速バスしかなかったので、神栖の温泉付きホテルへの宿泊をあきらめ、すべて公共交通機関と徒歩でのアクセスが可能な鹿島神宮駅前のビジネスホテルにした次第です。(スタジアム・神栖間って高速バスに乗車できるのか? それもわからない・・・。)まさか、磐田サポのみんなは車で来ていて、ビールを飲んで神栖まで運転して帰る!? そんなことはないですよね。それとも、鹿島や神栖なんかに泊まらないで、東京行きのバスに乗ってしまっている? 本当に謎です。
 翌朝、出発前に鹿島神宮に参拝しました。常陸国一宮で、御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、創建は神武天皇元年(紀元前660年)とも言われる由緒ある神宮です。かつては蝦夷征伐の前線基地として重視され、香取神宮と並んで軍神として信仰されてきました。
 茨城に入って以来、東日本大震災の爪痕をあまり目にしてきませんでした。しかし、入り口の左の画像に写っている参道をまたぐ形で建っていた大鳥居が震災で倒壊してしまったそうで、すっかりなくなっていました。改めてこの茨城も大きな被害を受けたのだということを実感しました。大鳥居はこの神宮境内の杉の木を用いて、再建されることが予定されているとのことです。
 本殿に向かう途中にある楼門です。寛永19年(1642年)、初代水戸藩主徳川頼房が造営し、日本三大楼門の一つになっているそうです。国の重要文化財でもあります。
 本殿です。心を込めてしっかりと参拝しました。元和4年(1618年)、徳川秀忠による造営で、こちらも国の重要文化財とのことです。
 奥に進むと・・・いました。神の使いです。奈良の春日大社に鹿がいるのは、春日大社の創建の時に、こちらの神鹿の背中に分霊を載せて、奈良に向かったからとのこと。そして現在の鹿たちは、奈良の鹿の系統だそうで、ある意味里帰りなのかな、とも。そして、これがもちろん、あのチームのエンブレムになっているのです。「アントラー」とは英語で鹿の枝角とのこと。知っていました?
 奥に進んだところにある「要石」です。地中で地震を起こす「大鯰(なまず)」を押さえつけている2つの石のうちの一つだそうです。でも、東日本大震災は・・・さすがに一つでは抑えるのは難しかった?
 参拝終了後、あらたかな気持ちで鹿島神宮駅に向かいました。銚子に向かうバスがここから出ます。2日目をどう過ごそうか、レンタカーを借りて水郷・霞ヶ浦方面に行こうか、などいろいろ考えたのですが、結局めぼしい見学先が見つからず、それだったら千葉に入って、一度行ってみたかった犬吠埼へ行くのがいいかな、と思ったのです。何と、鹿島神宮駅前から県境を越えて銚子に向かうバスが出ていることを発見。さっそく予定に入れました。乗車時間は120分!! (予定)高校時代には毎日40分以上のバス通学に耐えた自分ですが、高速バスではない普通の路線バスに120分というのは、ちょっと想像がつかない距離になります。何はともあれ、トイレをしっかり済ませ、水分を用意し、乗車です。
 普通の路線バスなので、鹿嶋市内の集落をまわりながら走っていきます。前回の訪問時に「時差」と「地平線の見える光景」に「異国」を感じていましたが、こんな「宇宙と交信する施設」も存在することが判明!! ここの国民は、宇宙と連絡を取り合っているのです!! やはりミステリアス、ここは異国、「鹿島国」です!!
 20年前の浜北152号バイパス沿いのような、田園地帯の中の2車線道路をひた走り、神栖へ。その後は田舎道を延々と進みます。やがて、右手に利根川の堤防らしきものが見え始めます。そして昼近くなった頃、バスは大きな長い橋を渡り始めます。銚子大橋、利根川の一番河口よりにかかる橋です。窓から見える光景は、もはや川とは思えないような、湖のような風景。でも、これは川なのです。川を越えれば銚子市、千葉県に入ります。
 銚子駅から犬吠埼に向かう、銚子電鉄に乗車します。あのレトロな車輌で有名な銚子電鉄ですが、それ以外にも全国各地の鉄道会社から集めた懐かしい車輌が集まっている様子。銀座線や丸ノ内線の古い車輌も魅力的でしたが、乗車はできず、車両基地に停まっているのを窓から見ただけでした・・・。
 銚子電鉄を犬吠駅で下車。経営の厳しいローカル私鉄でも、何とか活気づかせよう、という鉄道会社や地元の思いが伝わってくるような車内と駅周辺でした。駅から歩いて10分程度、海に向かって歩くと、見えてきたのは断崖絶壁とその上に建つ白亜の灯台。太平洋に突き出た、関東地方の「極東」です。
 200円(だったかな)を払って灯台に昇りました。99段の階段を昇って、外へ出ると、そこには・・・。
こんな景色が広がっていました!! パノラマ写真でないのがもったいない!! 180度を超え、270度ぐらいまでが水平線、そして沖合には行き交う船たちという素晴らしい景色でした。反対方向には「地球の丸く見える丘」があるようですが、そちらに行かなくても(時間がないのと、暑い中汗だくになって山に登るのは・・・。)十分地球の丸さを感じることができました。
(ただ、この海も震災時には牙をむいたかと思うと、複雑です。)
 崖下に降りてみました。岩に打ち付け、砕ける波しぶき・・・昭和生まれの人なら誰でもご存じでしょう。この波しぶきの向こうから、三角形のあのマークが浮かび上がってくる、あの映画会社のオープニングシーンを。そう、ここ犬吠埼は東映映画のオープニングである「荒磯に波」の撮影場所だったそうです。(実際にはこの岩ではなく、別の岩場のようですが、この場所であることには変わりないようです。)
 犬吠埼を見た後は、帰りの電車に乗る前に、駅近くの回転寿司屋「島武」(しまたけ)を訪問。魚屋さん併設の回転寿司店で、銚子港で水揚げされた新鮮なネタをリーズナブルな値段で楽しめるとのこと。いっぱい歩いて喉が渇いていたこともあり、生ビールと一緒においしくいただいた。写真にはアジやハモしか写っていないが、これ以外にも銚子名物の金目鯛やアブラボウズなど、お腹いっぱいいただいた。取りあえず、「ご当地メシ」をおいしくいただけて、満足!!
 犬吠駅から帰りの電車に乗ります。帰りはこんな感じ。京王電鉄や伊予鉄道で走っていたのかな、車内にそれを思わせる表示がありました。この銚子電鉄、経営立て直し、という点で徹底しているのか、この暑い中でもエアコンは一切なし!! ま、風が窓からよく入り、また、都会のジリジリしたアスファルト的な暑さがないからいいんだけれど・・・。
 16時を過ぎ、陽が傾いてきました。しかしここは関東の「極東」、東京駅に戻るのにも時間がかかります。そろそろ出発せねば、ということで東京駅行きの高速バスの停留所でバスを待ちます。実は、東京行きの特急も発車待ちしていて、どちらにしようか悩みました。しかし、JRの東京行きの普通運賃分ぐらいの料金で、高速バスで行けるなら、ということで、こちらのバスを選びました。しかし・・・後々、やはり特急にしておくべきだった、と思うようになります。
 バスは確かに高速バスでしたが、すぐに高速に乗るわけでなく、銚子市内、旭市内など、千葉県内各所を回っていき、その間に陽はどんどんと傾いていく始末。事前にどのようなルートを通り、東京駅到着時刻は特急とどれぐらい違うか、確かめておけばよかったです。
 湾岸線で渋滞にはまったこともあり、東京駅八重洲口についたのは19時過ぎ。そこからさらに新幹線ということで、少し疲れました。