東平尾公園博多の森球技場

 2001年11月3日、ジュビロvsアビスパ福岡の応援をするため、博多の森球技場に遠征してきました。その前の柏レイソル戦で磐田が不甲斐ない負け方をし(結局このせいで完全制覇を逃したといえる。)、気持ち的には乗っていませんでしたが、大変だった仕事が終わった後だったので、自分へのごほうびのつもりで航空券とホテルを予約し、行ってきました。
 当日は朝早く、7時前に家を出発。名古屋空港へ。結構時間に余裕があり離陸していく飛行機などぼんやり見ていたら、プログレッソと思われるグループが出現。その後、何と荒田顧問と松崎新社長(だと思うけれど、彼の顔は当時、よく覚えてなかったので…。)も登場という便でした。
 外は雲のため真っ白、おまけに低気圧の影響で揺れる揺れる!ちょっとしたジェットコースター気分でした。でも、徐々に高度を下げてくると窓の外には玄界灘、そして博多湾。志賀島から海の中道の砂州がはっきり。やがて福岡ドーム、そして博多の町並みが。その後、ゆったりと福岡空港に着陸しました。
 博多の街は「無国籍都市」という雰囲気でした。名物でもある「屋台」はまさに東南アジア状態。シンガポールかマレーシアか、という感じで街の至る所にあるのです。中洲の那珂川沿いの「屋台街」だけでなく、いわゆる普通の街中の銀行の前などにカウンターバー&オープンカフェ状態で出ています。そして街中に漂う「とんこつ」のにおい…これも街中何かのにおいがする東南アジアっぽい感じです(嫌いな人にはたまりませんが)。
 「食」も独特な文化を持っている感じ。「辛子明太子」「高菜」「とんこつ」といった有名なものから、後述する「鶏肉もの」「天ぷら」、そしておどろいたのは「焼きそば」ならぬ「焼きラーメン」(ラーメンの麺を焼きそばのように炒めるのです)でした。
 そして、これは私の思いこみかもしれませんが、街中をこれでもかというぐらいに走り回る西鉄バスの数の多さや、地下鉄が都心から空港へ直接乗り入れているところなどからは、ダブルデッカーが市内を走り回り、アンダーグラウンドがヒースローまで乗り入れているロンドンを感じた…と言ったら言い過ぎでしょうか(笑)。
 何はともあれ東海道沿線にある文化不毛の地方都市とは全く異なる、「独自の文化圏の中心都市」だな、ということを強く感じました。

旅行日 2001年11月3日〜2001年11月4日朝(1泊2日)
観戦スタジアム 東平尾公園博多の森球技場
観戦試合 ジュビロ磐田vsアビスパ福岡
利用交通機関 名古屋空港までJR東海道本線、名鉄名古屋本線&空港バス 福岡空港まで全日空
帰路は名古屋空港から豊橋まで名鉄バス 残りJR東海道本線
 博多の森は福岡空港のすぐ隣。すごくきれい。球技専用だけあって見やすい。そして雨天時には屋根付きはうれしいです。結構空いてるかと思いきや、キックオフ時には最前列の雨が入ってくる席以外はほぼ満席。17000人入ったそうです。
 メインとバックスタンドは最前列数列を除いて大きな屋根がかかります。ということでポンチョは不要。うらやましいです。
 スタジアム名物数々あれど、博多の森は充実していました。さすが、屋台の街だけあって、スタジアムの売店も「売店」というより「屋台」という雰囲気でした。(ただ、街に出ているカウンター式の屋台ではなく、夜店というかテキ屋さんという感じでしたが。)また売っているものも、博多っぽいものが多く、味もその辺のスタジアムのふつうのものよりおいしかったです。
 「博多うまいもの揚げ」(という名前だったと思うが)。ま、いわゆる揚げはんぺんだと思うのですが、中に博多らしい名物が入っているのです。私が選んだのは「めんたいきくらげ」「地鶏高菜」「しそちりめん」。揚げたてをいただいたのですが、フワフワした中につぶつぶと「具」がはいっていて、食感も楽しめ、ビールにも合う。結構おいしかったです。
 2番目に頼んだのはさつまいもの天ぷら。これも揚げたてをいただき、ほくほくしてうまかったです。でも、博多の人って天ぷらが好きなのでしょうか。夜の街の屋台にもラーメンやおでんのほかに「天ぷら」ってのが目立ったような。
 街の屋台もそうだったけれど、スタジアムの売店でも多かったのが、「鶏肉もの」。静岡県のテキ屋さんにも、「博多の地鶏」なんてのが時々あるけれど、「地鶏唐揚げ」「地鶏炭火焼き」「焼き鳥」「とり皮」などの店がスタジアム内にもズラリ。3番目にはその中から「地鶏炭火焼き」を買いました。こりこりしてたり、ジューシーだったり、いろんな部分が入っていたようで、おいしかったけれど、少し冷めていたのが残念。でも、とにかくこの売店の雰囲気、「酒飲み」にはたまりません。試合開始前にビールをおかわりしてしまいました(!?)。
 試合は清水のゴールで先制したものの中盤が作れず、苦戦しました。手数をかけすぎる一方、ちょっとしたミスや相手の寄せの速さに次々とボールがカットされ、いいようにつながれます。そのうち、左サイドに西が引っ張り出されます。(目の前でした。)その瞬間、これはやばい、ぬかれる、という予感がしました。結果はその通りとなりました。福岡の服部に渡り、見事に決められてしまいました。その後も前節と似て、ノ・ジュンユンの見事なFKから逆点されてしまいます。GK山本、一歩も動けず、ガックリと膝をつきます。こいつもダメ。いくら決められても、ガックリと膝なんかついちゃ。ハートが弱すぎです。2003年現在、先発メンバーの彼ですがこの時以来、私は彼を信用していません。
 いつもより早い時間の川口投入も今回はカンフル剤にはならず、そのままずるずる時間が過ぎていきます。それでも少しこちらがコントロールできるようになったのは、相手が一人退場になってからでしょうか。中山へのファールでPKを得て、それを服部が決めた後は、すこし福岡もガックリ来たのでしょうか、少しずついい感じになってきました。でも90分では決められない…90分勝ちが至上命題なのに…。祈るような気持ちで見つめる中、最後に中山のVゴールが決まりますが、喜びは半分でした…。
 試合終了後、他会場の結果が入ってきました。でも、鹿島の勝ちがアナウンスされると、またガックリ。しかも博多の森ではVゴール勝ちだということがアナウンスされなかったため、私はその時点で、勝ち点差が「4」に開いてしまったと解釈してしまい、ますます憂鬱に。おまけに帰りのバス待ちの列がものすごく、これだったら歩いて空港まで戻った方がいいかと考え、離着陸する飛行機を横に見ながら足取りも重く空港の外周道路を戻りました。
 空港から出ている地下鉄で都心の宿へ。自分の部屋でTVをつけ、初めて鹿島が延長勝ちだと知り、まだ望みは絶たれていないことに気づきました。それを聞いてやっと少し立ち直り、街へ出ようか、という気になりました。
 翌日は志賀島の金印が出てきたという場所へ行ってみたり、博物館へ金印の実物を見に行きました。