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豊橋駅からこだま号で名古屋駅に向かいます。名古屋までであれば、在来線でもそれほど時間が変わらないのですが、私はあえて新幹線の切符を取りました。それは新幹線と在来線特急を乗り継いだ方が、「乗り継ぎ割引」が適用されて、結果としてトータルの料金が安くなるからです。いろいろ調べていくうちにこのことがわかり、新幹線で名古屋に向かうことにしました。 |
名古屋で特急ワイドビューしなのに乗り換えです。子どものころ、名古屋駅のホームに入線していた特急しなのを見て、この電車が向かう長野県ってどういうところだろう、図鑑で見た「ふりこ電車」の乗り心地ってどんなだろう、なんて考えながら、あこがれの思いで見た覚えがあります。その後、大人になってから、労働組合関係の出張で長野県に出かけた時、往路は東京周りで、復路は名古屋周りで帰ってきた際、しなのを利用しました。それが私がしなのを利用した最初だったのですが、それに続いて今回2度目の乗車、ということになりました。ワイドビューになってから初の乗車。同じワイドビューでもひだには乗車したことがありますが、しなのは初めて。いつも19号から併走する中央本線を見るばかりでしたが、電車から見る木曽路はどんなだろう、なんてことを考えながら乗車しました。なお、車内販売はないので、飲み物などはあらかじめ購入して乗車することが必要です。 |
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ゲームは夜です。ということで昼は市内散策。歩いてたら四柱神社というお宮を見つけたので、お参りしました。天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神とし、4柱の神を祀ることから四柱神社と名付けられたようで、願い事は何でも叶う、というようなことが書いてありました。 |
その後は松本城に向かいました。実は3年前に家族で訪れたばかりなのですが、松本に来てここに寄らないわけにはいかない、と考え、天守に昇りました。
天守は安土桃山時代から江戸自体初期の建築で国宝に指定されています。石落としや鉄砲狭間など、戦国時代末期で戦がだんだん少なくなっていく時代に作られたとはいえ、戦いに備える知恵がそこかしこに見られ、見学しながらその時代に思いをはせることを楽しみました。 |
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やっぱり信州に来たら、これを食べねば、ということで、松本城の近くにあるおそば屋さんに入り、そばをいただきました。本当は日本酒でいただくのが粋なのでしょうが、暑さからやはり、ビールに手が伸びました。 |
アウェーの洗礼です。街中至る所にこのようなフラッグが掲げられ、アウェーからやってきた我々にプレッシャーをかけます。戦いは既にスタジアム入りする前に市街地から始まっていました。でも、松本の人たちは、ホントにみんなこういう思いを抱いているんじゃないかな。「愛されてる」という印象を持ちました。 |
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松本バスターミナルからアルウィンへのシャトルバスが出ていました。驚いたのは、これが「無料」だったのです。松本山雅といえども、決して裕福なクラブではないでしょう。でも、街はずれにあるスタジアムに一人でも多くのサポを集めるために、いろいろな努力をしているのだな、ということを感じました。 |
街はずれのだだっ広い中にアルウィンはありました。でも、なぜ周りに何もないのだろう、と考えていたら、よくわかりました。すぐ隣は信州まつもと空港だったのです。滑走路周りの緩衝地帯の中に松本平広域公園があり、その一部として空港があるということがわかりました。バスを降りて歩いて行く途中、見えたのはこのような誘導灯。その間を歩きながら、スタジアムに向かいました。そして列について開門を待っていると、轟音と共に、何とFDAの機体が滑走路から青空に向かって上がっていきました。
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ようやく開門。中には入れましたが、私たちはこうして相手の松本山雅サポとあるゲートを挟んで向かい合い、にらみ合うことに。端から見るとサポ同士がこれから衝突しようと一触即発の状態なのか、というようにも見えますが、実はこれ、向こうはこちらアウェー側にあるトイレや売店に行きたい、そしてこちらはホーム側にある売店に行きたい、というそういう状態だったのです。アウェーサポが入りきるまでゲートをオープンしない、という訳のわからない掟があるようでした。 |
私が敵サポと対峙してまで買いに行きたかった食べ物は上の写真でも見えていますが、この山賊焼。「焼き」と書いてありますが、実際には揚げたもの。結構もたれるかな・・・:-)
ちなみに、その横に見えているのは山雅ビール。どうやって着色したのか、グリーンのビールです。徹底しています。 |
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アルウィン自体は球技専用の競技場で、欧州のスタジアムのように雰囲気がいいのですが・・・なぜか、見にくい。それは専用球技場なのに、スタンドからピッチまでが距離があること、そしてスタンドの傾斜が緩いこともあるのかな、とも思いました。 |
あと、空港に近いということへの配慮でしょうか。ナイター照明がこのような形で張り出していてピッチに近いところで集中的に照らす作りになっていました。それでも暗いのかなぁ、どこか見にくくて、選手の背番すらわからないという状態に。私の目の衰えなのだろうか・・・。 |
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ここのよかったところは外の屋台村です。地域のお店がいろんな種類のものを出していて、こりゃ、飲まずにはいられないというところ。地元の車で来た人は、じれったいでしょうねぇ。ただ、行列もすごい。で、最後尾の人が自分で「ここが最後尾」を表す札を持って並びます。そういう文化、風習が根付いていて、誰も嫌がることなく、恥ずかしがることなく、普通に持って次の人が着けばその人に回すという感じ。松本サポから磐田サポへ、にこやかに手渡しです。話も弾みます。 |
「磐田からいらしたんですか?」「どれぐらいかかりました?」松本の人は気さくですね。始まる前はこういう会話が、売店の屋台に並びながら、トイレで並んで用を足しながら、普通に交わされます。並びながら会話を交わし、そしてカレーと串焼きを買って、試合前に一杯です。 |
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しかし、そんなほんわかムードも不甲斐ない磐田の試合結果に叩きのめされ、砕け散ります。何やってんだか・・・。 |
傷心の翌朝です。街のシンボルである松本城は前日立ち寄り、旧開智学校は前回松本を訪れた際に訪ねたので、今回は「癒やし」をメインのテーマにし、2日目は浅間温泉でのんびりすることにしました。駅前のバスターミナルから浅間温泉方面に向かうバスに乗車。奥の方まで行くバスは少なく、次まで待たなければいけなかったので、「浅間温泉入口」を通るバスに乗車しました。歩いたのも5分ぐらいかな。日帰り温泉施設の浅間温泉会館(ホットプラザ浅間っていうのかな?)に入りました。料金は650円、無色透明の弱アルカリ性単純泉の湯をたたえた内湯と露天を備え、のんびりとくつろぎました。 |
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とはいえ、敗戦の屈辱感は消えません。しなのに揺られながら、寂しい帰路となりました。冬によく通る19号沿いの木曽川を、いつもとはちがう視点から、そして脇見運転を気にすることなくのんびりと見ながら、傷心の心をいやしました。
(そしてこの少し後に南木曽であの土石流が・・・。あんな災害が起こるなんて、この時は思ってもみませんでした。亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。) |