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 やはり新年は心新たに、ということで特別なメニューバーを用意。近所に立った巨大な門松の画像を使用。縦長の門松を横長のメニューバーにどう収めるか・・・が難しかった。
 やはり、冬はスキー。2005年2月作成。八方尾根頂上から白馬岳方面を臨む。ただし・・・このシーズンもスキーには何度か行ったが、この画像は前年の2004年に撮影したもの。このシーズンは白馬には行ったが、八方尾根には行っていない・・・。
 「平成の大合併」が進行する中で、静岡県西部地区の第1弾として磐田市、袋井市に合併して消えていく町・村のカントリーサインを使用して名残を惜しんだ。「今の私が何とかできているのはこの人たちのおかげ」という人たちがこの全ての町・村にいたのだが、そういう意味でもさびしさを感じた。
 愛知の新しい空の玄関、中部国際空港。これからJの遠征や海外旅行等で利用することも多くなるであろう「セントレア」。その規模と利用しやすさに驚き、メニューバーにしてみた。でも・・・今までの名古屋空港も好きだったんだけれど・・・。
 写っているのがANAばかりなのは、決して横浜Fマリになびいているわけでなく、本当に見事にこれだけ揃っていたのです。それと、ANAはm-takasuのオフィシャル・エアラインということもあるのですが。2005年4月17日、新潟遠征の帰りに撮影。
 政令指定都市を目指して12市町村が新・浜松市へと合併。それに伴って消える市町村はどれも私にとってなじみのあるものばかり。この中には以前勤めた職場の所在地もあれば、これまた世話になった人たちが全ての町にいる、ということで特別な感情が。ということで、「水曜どうでしょうばり」にカントリーサインの画像を集めて回り、それを基に作成した。それぞれの市町村で培ってきたよさが残るように、「クラスター型」という言葉が単なるかけ声に終わってしまわないように願っていたのだが・・・。既に「ひどい目に遭っている」、「一体クラスターって何だったのだ?」との声も。
 2005年7月7日(木)に発生したロンドンでの同時多発テロは大変残念で憎むべき出来事であった。私が2001年に渡英した時に宿泊したホテルの最寄り駅であり、滞在中もよく利用したKing's Cross Stationとその隣のRussel Squareの間で一番多くの死傷者が出たようで、ニュース映像に見覚えある画像が出てくるたびに心が痛んだ。近いうちにまた渡英したいという願いを抱いていたが、少し遠のくことになるだろう。犠牲になった方のご冥福と負傷された方の1日も早い回復、そして「平和な世界でサッカーを」という願いを込めて、Thistle King's Cross(今はなくなってしまった?)の部屋から撮影した画像を使って。
 2005年7月23日(土)に訪れた愛・地球博(愛知万博)を記念して作成された「EXPO2005 Part1」。パビリオンの夜景を背景にしている。手前左はガスパビリオン、中央にトヨタグループ館、右に日立グループ館。企業パビリオンはなかなか入ることができなかったが、アジアを中心に外国館を回り、楽しむことができた。
 2005年の大分遠征の往路、関西汽船の寄港便で立ち寄った松山港から見た瀬戸内海(伊予灘)。朝もや、おだやかな波、島影・・・aikoの「キラキラ」がBGMに聞こえてきそうな気分に。(当時放送中だったテレビドラマの主題歌。実際のドラマのロケ地は越智郡大三島町とのことだが。)瀬戸内は7度ほど訪れているが、いつもこの風景には心を癒される。
 閉幕迫る「愛・地球博」の会場の夜景を使用。こいの池から大地の塔、長久手日本館方面を臨む。秋の早い夕暮れが閉幕が近づいていることを感じさせた。閉幕を惜しんで「"Good-bye, EXPO2005 AICHI JAPAN"edition」として2005年9月20日にアップ。
 年末の浜松市街のライトアップは既に冬の風物詩として定着したといってもよいでしょう。今年は鍛冶町旧松菱前の一本の木をアップにして撮影したものを使用しました。