過去ログ November,2003

3 November,2003

静岡県御殿場市。
初めてこの街を訪れたのは、
免許を初めて取った年の秋、そう、ちょうど今頃のことだった。
当時、仲間の中には自分の車をもっている者はだれもおらず、
それでも「ドライブ」なるものをしてみたいと、
レンタカー、スバルレックスを借りて(それも大学生協の割引料金で)
箱根を目指した。
目的は、「乙女道路」には「乙女」がいるのか見てみたい、
という笑っちゃうようなものだった。
結局、「乙女」などはいるはずもなく、ただの峠道で
免許取り立ての我々は、富士山の景色を楽しむ余裕もなく、
ただひたすら「必死」にハンドルを握って山を下ったものだった。
その峠の下で我々を迎えてくれたのがこの街だった。
富士山、山中湖、箱根への入り口。
静岡県なのに「首都圏の香り」が感じられる不思議な街。
それが、私が感じたこの街の第一印象だった。

週末、そんな御殿場市を「仕事」で訪れた。
ある意味、厳しい面もある「仕事」だったので、
初めはあまり乗り気ではなかった。
でも、自分の仕事に対して、専門家の人の意見も聞けたし、
今後の方向性のヒントを得られたという意味では
行ったかいはあったかな、と思う。
偶然だが、同じ「会議室」には、乙女道路を必死に下ったあのドライブで
一緒だった仲間も顔を出していた。
彼の「報告」「提案」を聞けたし、討論の中で「意見」も聞いた。
がんばってるなぁ。感心したし、いい刺激になった。

ただ・・・やっぱりこの「仕事」は大変だった。
夜は生ビールもいただいたし、温泉にもつかれて、
「私の好きなものベスト3」のうち、2つを堪能できた。
でも、「気が張ってて」「癒し」というまでは行かなかったかな。

明日は「試合もないし」(^^;)・・・「安息日」にしよう・・・。

8 November,2003

「ライオンキング」
東京出張の「ついで」に、今年2度目、7ヶ月半ぶりの観劇となった。
私の四季観劇歴というのははまだまだ浅く、約2年といったところ。
でも、この「ライオンキング」については、既に5回目で、
次の展開がどうなるかはわかっているし、
台詞もおおよそ覚えてしまっている。
それでも、観るたびに「しびれて」しまうことは毎度変わらない。
ラフィキが「Nants'・・・」と叫び、「Circle of life」を歌い始めると、
ぞくぞくっとくるし、
終盤、これまたラフィキが「おまえの中に生きている」を歌うと、
体がいすに張り付いたかのように動けなくなる。
そしていよいよ最後、「king of Pride Rock」から「Circle of life」と進むと
いよいよもってもう大変だ。
電気椅子状態でビリビリしっぱなしである。
ボキャ貧なのでこんな表現しかできないが、
毎回しびれさせてもらって、
劇場を出て外の風に当たっても、その余韻はなかなかさめない。
頭上を通り過ぎていくゆりかもめを見ながら
すっかり自分はシンバになりきっていて
何でもできるような気持ちになれてしまう。
いやぁ、今回もよかったです。満喫しました。
今度はいつ来られるだろうか・・・。

10 November,2003
1(PK)-0、勝ち点3、5位浮上。
「W杯主審(?)」上川氏のあまりにも「不安定」なレフリングに負けず、
命からがらの勝利、本当によかった。
思えば1stステージ、4月29日の宮城スタジアム。
勝ちきれるかと思ったところで、悪夢の同点PK・・・。
帰り道、浜松駅の新幹線改札を出たところのトイレで
PKのきっかけとなる反則を犯した鈴木秀人と並んで用を足しながら
かけてあげる言葉が見つからないという、
あの時の虚しさは今でも心の隅で「かさぶた」となって残っている。
そういう意味では、今回はしてやったりという気分だ。
しかし・・・まだ自力が復活したわけではない。
そして前述した通り、降格候補相手に「命からがら」でしか
勝つことができないという実態。
このままではこれからの東京V、そして横浜に勝てるのか?
固められたゴールをこじ開ける、シュートパターンを増やさないと、
上位陣相手は厳しい。
そして今回もあったが、ペナルティエリアあたりでこねくり回して
結局クリアされて終わる、なんて攻めではなく、
もっと積極的にゴールに向かってほしい。
大体ゲームキャプテンが
「点が入らない時は入らないので、今日は入らないんじゃないか」
なんて言ってちゃ、いかんでしょう。
観てる我々が、最後のホイッスルまで、信じているというのに・・・。
次節はそんな情けないゲームキャプテンと、山西、「長期休暇」西と、
主力3人が出られない。
ここをどうしのぐつもりだろうか。
一戦一戦トーナメント、と言われているが、
まさに次節は正念場だ。
「夢と魔法の王国!」とか言うと、
「お前は(株)オリエンタルランドの回し者か。」とか、
「造られた「感動」に踊らされて・・・。」とか馬鹿にされることもあるのだが、
私は「東京ディズニーランド(リゾート)ってすごい」、と思っている。
先週も東京出張の折に立ち寄ったし、昨年も今頃訪れて、
クリスマスのパレードの「サンタクロースダンス」に「ノックアウト」された。
じゃ、なぜほかの遊園地じゃダメなの、って言われても
うまく説明できない。
確かに「造られた感動」であって「計算されたもの」かもしれないが
「訪れる人にハッピーになってほしい」という願いや、
ある意味の強烈な「こだわり」が感じられ、
私の心のツボをついてきて「幸せな気持ち」にしてくれる。
さらに2年前、あるハプニングに出会ったことにより、
私はますます東京ディズニーリゾートというものにハマることになった。

2年前、オープン間もない頃の東京ディズニーシー(TDLではないが)
ゲート近くの売店でのこと。
買い物に夢中だった小学生の女の子が4歳ぐらいの女の子と
ぶつかってしまうのを目撃した。
その時、小さい方の女の子が手に握っていた風船を離してしまったのだ。
驚き、涙ぐむ女の子。そして当惑を隠せない小学生。
ついには罪の意識から、小学生まで涙を流し始めてしまった。
そこに駆け寄る売店の若い店員。小さい女の子の母親に笑顔で話す。
「大丈夫ですよ。今連絡を取りましたので、
まもなく、代わりの風船が届きますので。」
そして今度は小学生の方に向かってほほえみかける。
「どうか、もうご心配なさらないでください。
それよりも、どうかお帰りになるまでの残された時間、
東京ディズニーシーで素敵な思い出をたくさんつくっていってくださいね。」
若干異なるところがあるかもしれないが、
おおよそこういう内容の会話が交わされた。

上層部でなく、末端の若い売店の店員の口から
自然にこのような言葉が出てくるということに
この会社の「すごさ」を感じる。
「夢と魔法の王国」と胸を張って言えるのも納得、である。
13 November,2003
16 November,2003

この時点では独走態勢だったのだが・・・。

歓喜の声がわき上がるスタンドに挨拶

当初は、今節は行かないつもりでいた。
でも、土曜日に上位陣が総崩れとなり、自力優勝の目が復活し、
また中山雅史が復帰するかもしれない、なんて報道が流れたら、
いてもたってもいられなくなってしまった。
そこで、今話題の「高橋」
(「みゆき」じゃないですよ。彼女も見てみたいけれど。
ましてや「克実」でもないです。)
を見るという「オプション」をつけて、
自分に「行かなきゃ」っていう「言い訳」をつけて、切符を買い込んだ。
しかし・・・。
品川駅前で目の前をぶっちぎりの独走で駆け抜けていった、
その高橋が、その後追いつかれ、
2位に沈んだという知らせを携帯で知った。
勝負ってのは本当にわからないものだ、と思い知らされ、
より一層、身が引き締まった中でのキックオフとなった。
そしてやはり・・・流れは嫌な方に進んでいく。
エムボマがふっと左に放ったパスを平本が見事にゴールに流し込み、
あっさりと先制されてしまう。
こちらもゴール前に持ち込み、決定的な場面をつくるが
枠を大きく外れたり、
枠に行っても、GK高木のファインセーブにはじかれたり・・・。
相変わらずセットプレーも決まらない。
またいつもの「ゴールが決められない病」が始まってしまう。
先週の服部ではないが「入らないんじゃないか」と私も思ってしまった。
しかし・・・流れというのは突然来るものである。
中山が入ったとたんのグラウのヘッド!
そして西野の執念が誘ったオウンゴール!
やはり、勝負というのは本当にわからないものである。
飛田給の駅への大混雑も、
今日は気持ちをクールダウンさせるためのいい時間となった。
結果、単独首位。ふぅ・・・。ここまで長かった。
でも、勝負というのはまだまだわからない。
今回は勝負の「流れ」がうちにとっていい方向に働いたが、
次回は敵にとっていい方向に働くかもしれない。
主力3人、そして中山の復帰と好材料がそろうが
最後まで気を緩めてはならない。
まだ「引き分けさえ許されない」状況に変わりはないのだから・・・。

「道は開かれた。でも、簡単ではない。」
以前にも、このHPだったか、BBSだったか、そう書いたように思う。
今節もまさにその通り、簡単ではなかった。
しかし、道は閉ざされなかった。なおも開いている。
そして、前よりも一歩前進することができた。
ホームの大観衆の声援を背に、
「G大阪」という、本来の敵以上にやっかいな
「柏原丈二」というその道を遮る者をかわして・・・。

またもや先行される苦しい展開だった。
失点はこちらの弱点を相手がうまくついたものだった。
しかし、そのままずるずるとはいかなかった。
名波が、田中誠が、ふんばり、チャンスをつくった。
どういう理由かわからないが、一人少なくなった中、
前田が、グラウが、河村が道を切り開いた。
最後は全員の力で守りきった。
先週に引き続き、スタジアムは歓喜に包まれた。

来週の横浜国際のチケットを確保した。
当然、乗り込む。
「3連戦」の第1戦、選手たちの背中を押すために。
また、第2戦・第3戦と、その後もう2試合
横浜と戦う資格を得るために。

もう一度、改めて確認しよう。。
道は閉ざされなかった。なおも開いている。
そして
我々は「今のところ」、
一番「後期チャンピオン」に近いところにいる。
年間チャンピオンを争う権利を手にするのに
一番近いところにいる!!

22 November,2003
30 November,2003

あれから一夜、
気持ちを整理するのにずいぶん時間がかかった。
Remember 29 Nov. 2003・・・・.
また一つ心にかさぶたができてしまった・・・。
2001年のチャンピオンシップで小笠原にVゴールとなるFKを
目の前で決められて以来のかさぶただ。
あのときのかさぶたは、まだ固まっていない。
はがせばおそらくそこからは真っ赤な血が流れ出るに違いない。
でも、選手たちのかさぶたは、
完全に治癒して傷口はふさがってしまったのだろうか・・・?

最終節、圧倒的に有利だといわれてキックオフを迎えた。
早速先行し、相手GKも退場となり、流れはできるかに見えた。
しかし・・・、
あまりにできすぎた経過が選手たちの気持ちと動きに影響を与えたのは
はっきりと見て取れた。
目に見えて動けなくなった。
プレーも雑になった。
もう1点取って試合を決定づけようという姿勢が見られなかった。
この動きは同点にされても変わらなかった。
「同点でも優勝」
そんな思いがあったのだろうか。
あまりにもあっけない逆転劇に、言葉をなくすしかなかった。

この試合を、そして今シーズンを振り返って
反省文を書けといわれれば、
原稿用紙20枚ぐらいさらっとかきあげることができそうだ。
それぐらい言いたいことが、
GKに、腕章巻いてたゲームキャプテンに、首脳陣に対してある。
帰り、同じ車両に乗り合わせた「磐田の父」、
あなたはこの試合を、今シーズンをどう見ましたか?
来シーズンに向けてどうしていくのがいいでしょうか?
聞きたかったです。

こうなったら・・・
「何が何でも元旦国立」
それぐらいしてもらわないと・・・。