過去ログ  March,2004

7 March,2004

年度の終わりを控え、多忙な毎日が続いていた。
そんな中、「通常業務」とは別件で東京出張することになった。
「通常業務」は持っていける仕事ではなかったため、この際すべて忘れ、
出張業務に集中し、オフはひたすら「充電」しようと決め、ひかりに乗った。
出張先は東京ビッグサイトそばのビル。最先端の情報をいろいろ入手した。
夕方、業務は一区切りとなり、オフタイム。
すぐそばのホテルにチェックインし、ゆりかもめで汐留に向かった。

オフの楽しみの一つめ。劇団四季「マンマ・ミーア」を昨年夏以来、観劇。
男性3人のうち1人は変わっていたが、あとは夏とほとんど同じキャスト。
ドナ役の保坂さんは変わらずすごい存在感だし、
脇を固めるターニャ、ロージィのお2人も素晴らしい。
そしてソフィ役の吉沢さんは笑顔も、戸惑う表情も、共に素敵だった。
ライオン・キング同様、リピーターになりそうである。
終演後は少し汐留をぶらぶら。
違う世界に来たかのようなその雰囲気を楽しんだ。

翌日も2日目の出張業務があったが、午前中に業務を終え、国立へ。
ゼロックススーパーカップ観戦となった。
今シーズンJチーム相手の初戦、Fマリとどこまでやれるかに注目した。
結果は1−1からのPKで、磐田が勝利!
佐藤洋平は「神」。
そしてこの日はよくも悪くも「福西の日」であった。
U−23組を欠く中でオジサン中心の布陣。
コンディション的には今ひとつのようだったが、
華麗なパス・サッカーを見ることができた。
ただ・・・中盤ではいい感じに回るが前線へはなかなかボールが運べない。
そのあたりが今後の課題だろう。

さぁ。明日から1週間、また仕事漬けだ。
来週、ゆとりをもって埼玉へ乗り込むために(?!)

15 March,2004

その瞬間、スタジアムは失意と当惑に包まれた。
アテネ五輪アジア最終予選グループB、U-23日本対U-23バーレーン。
苦戦するだろうという覚悟はあったが、
ここまでの結果を予想していた人が55000人中どれだけいただろうか。
私自身も予想していなかった一人だ。
試合前は前夜の磐田開幕戦勝利とU-23の日本ラウンド初戦勝利を
どうリンクさせてこのトップページを書こうか?と
甘い考えを抱いていたぐらいだから・・・。
ボールを支配しながらもチャンスにつながるボールが前線へ出ないという
まるで前夜の磐田戦のような試合展開を見ながらも、
それでも前夜の磐田のように、最後には点が入るのでは、と
「何となく」思いながらピッチを見ていた。
フランスW杯予選以降、大きな障害なく勝ち抜いたシドニー予選、
そして予選なく出場できた2002W杯と続いてきた「予選平和ボケ」が
自分をそういう安易な気持ちにさせていたのかもしれない。
しかし、どこも死にものぐるいでくる予選は簡単ではない、
フランス以前の予選の厳しかった記憶を改めて思い出すことになった。
今回の結果、予選通過が厳しい状況になってしまったことは確かである。
でも、アトランタだって、フランスW杯だって、
いつも追いつめられた中からの勝利だった。
指揮官が言っている通り、下を向かず、気持ちを切らさずに行ってほしい。
まだ道は閉ざされていないのだ。
あと2試合、仕事の都合で生観戦はできないが、
テレビの前で、国立へ気持ちを送ろうと思う。

19 March,2004

「夢を追いかけて、そしてAthensへ  山本昌邦」
山本さん、あなたの、そして私たちの「夢」はつながりました。
よかった。そして、本当にいいチームをつくりましたね。
「五輪はサッカーの最高峰の大会ではない」なんて言って、
五輪予選や五輪本大会を「斜めに見る」、「自称詳しい人」もネット上にはいますが、
私は今回の五輪本大会出場を素直に喜びたいと思います。
確かに欧州リーグやA代表のW杯に比べれば、若さ故の甘さも目立つ大会ですし、テクニック的にも見どころがないかもしれませんが、
苦しい予選を勝ち抜き、成長し、たくましくなっていくのが目に見えてわかるこのジェネレーションは、
やはり見ていて面白いと思います。
彼ら、本当に、たくましくなりました。
テクニシャンの欧州組を寄せ集めて「個人技で何とかせよ」という某A代表とはちがうものを感じました。
苦しい事情の中であれだけ選手を入れ替えてもチームとして機能させてしまう、
そして相手チームを事細かに分析してその都度ちがう戦術をとっても機能させてしまう。
大したものです。
どんなに相手が変わろうと、親善試合であろうとW杯予選であろうと変わりばえのないスタメンと戦い方の「兄貴分」とは全然違う。
「欧州組をもう少し早く招集できれば、☆□○×△・・・」って言ってるどこかの「神様」、見てた?
1試合でも多く、このチームの試合が見られるよう、
アテネでの活躍を願っています。

(上の画像は18日の国立ではなく、14日に埼玉スタジアムで撮影したものです。)

19 March,2004

今まで、当HPの「Profile」欄に、自分の年齢は「若かりしころ、松田聖子が・・・」なんて書いていた私。
昨日設置したゲストブックに改めて「Over-30」なんて書いて、( ̄□ ̄;)と思っていたところであるが、
そんなジェネレーションである私にとって、中山雅史の復活ゴールへの酔いも一気に冷めてしまうような、訃報が入ってきた。
いかりや長介さん、72歳で死去・・・。
土曜の夜、8時はテレビの前で「全員集合」、
時々やる火曜ワイドスペシャルの「ドリフ大爆笑」は見逃さない、
「次、行ってみよう。」
「ダメだ、こりゃ。」
なんてギャグは、飲んだ時の定番だった。
(ねぇ、I津君!って、ここ見てくれてるかな?)
お笑いから一転、「踊る大捜査線」のTVシリーズが始まった時には、
「長さん、俳優でもやるじゃん。」
と思ったものだが、いつの間にか「和久さん」は自分の中で「かっこいい年齢の重ね方の手本」みたいになっていた。
職場の若いのに、「疲れるほど働くな。」とか、
ちょっと説教ぽいこと言ったあとに
「なんてな。」
なんて言ってみたりして・・・。
夏ごろ、ガンだと知ったときにはショックを受けたが、その後順調だと聞いていただけに、
衝撃を隠せないでいる私である。
ドリフのビデオやDVDはないけれど、今夜は「踊る大捜査線」のDVDでも見て過ごそうか・・・。

ご冥福をお祈り申し上げます・・・。

27 March,2004

ヤマザキナビスコカップの初戦、新潟戦を見に行った。
いつもなら、ナビスコ杯は「賞金の出るプレシーズンマッチ」とか言って、
自分の中で重要視していないため、見に行かないことが多い。
しかし今回は、何が何でも見に行こうと決め、磐田に向かった。
それには理由があった。
今後は仕事の都合で生観戦が簡単にはできなくなりそうだからである。
土・日の仕事が多い「部署」へ異動することになったのだ。
仕事自体も今までやっていたものとは異なる業種。
慣れるのに相当の時間がかかりそうだ。
ということで、今回は磐田のサッカーを目に焼きつけ、
カレー丼の味もしっかり舌にしみこませ・・・と思っていたのだが・・・。
確かにカレー丼はうまくて空腹だったこともあり2杯も食べてしまったのだが、
いただけなかったのは磐田のサッカーである。
確かに主力を3人、代表のために欠いていたとはいえ、
1週間、このメンバーで練習をやって準備してきたわけで、
あれはないでしょう・・・。
90分、全く見どころがない試合だった。
せっかく回ってきたチャンスを全く生かせず、
その上、何が何でも、という気持ちが全く伝わってこない情けない若手たち。
大変失望した。
スコアレスドローという結果への虚しさと、異動先での仕事への不安を抱えて
重苦しい気分で4月を迎えることになりそうだ。

うまかったぁ。やっぱり、「ヤマハスタジアム名物」です。