過去ログ  January ,2005

1 January, 2005

昨年を表す漢字は「災」とのこと。
豪雨、猛暑、台風、新潟県中越地震、最後にスマトラ島沖地震の津波までついて、本当に「災」の多い年だった。
今年こそよい年であることを願いたい。
しかし・・・大晦日から遠州地方で降っていた雨は、その他の地域では雪となっていて、
東京はすっかり銀世界と化したようだ。
年の初めからこれでは思いやられる。(細木数子も何か怪しげなこと言ってたし)
もちろん、国立霞ヶ丘競技場も多大な影響を受けているだろう。
ぬかるんだピッチ、低い気温、強い風・・・キックオフまで残るだろう。
これが試合にどのような影響を与えるかは全くわからないが、
厳しい戦いになることが予想される。
しかしそれを乗り越え、タイトルを手にしなければならない。
磐田が「チャンピオン」と名乗り続けるために、そしてアジアへの扉を開くために。
2年続けて、特別な元日。
正月に国立に立てることに誇りを感じて、
今年も明治神宮経由で乗り込みたい。

最後になりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

1 January, 2005

年の初め、シーズンの終わり・・・・。

ダメダメだった今シーズンを思えば、「よくぞここまで来られた」、とも言える。
元日に国立のピッチに立てた、ということだけでも誇りをもっていいと言うこともわかっている。
でも、チームが本当に上向いているのだ、ということを示すためにも、
自信をもって来季に臨むためにも、
そして世界クラブ選手権への道を開くためにも、
ここは勝ってタイトルを取っておきたかった。
「無念だ・・・。」(by 財前五郎)
ということで、一から出直し。
時刻表をにらみ、ニシエヒガシエと夜行バスや普通電車を乗り継いでいた日々からはしばらくお別れ。
オフが明けるまでは雪も降ったことだし、スキーと温泉めぐりを楽しみに生きようと思う。
最後に・・・監督さんよぅ。
「来期に繋がっていく内容だったんではないかなと」
「ほんのちょっとの差だと思いますし・・・。」
「今いる選手達が全力であそこまでやってくれたのは評価しています。」
ってあんた・・・!( ̄□ ̄;)。
確かに「手を伸ばせば届きそうなところ」にあったタイトルだけど、結局は届かなかったわけですから。
技術、フィジカル、コンディション、メンタリティ、戦略、采配・・・結局総合的なチーム力で向こうが上だったんですよ。
まだ私、あなたを「信任」したわけじゃないですから・・・。

15 January, 2005

日帰りで修善寺に出かけた。
私の温泉フリークの原点でありながら
友人の結婚式で訪れて以来、10年以上、この地を訪ねていない。
伊豆中央道や修善寺道路などの整備が進み、
アクセスも大きく改善されたと聞くし、
5年ほど前には「筥湯(はこゆ)」と呼ばれる外湯もオープン、
これはぜひ行ってみなければ、ということで
天皇杯遠征で使った18きっぷの残りを使い、
三島経由伊豆箱根鉄道利用で訪ねてみた。
行ってみて・・・
一部、景観整備のために遊歩道などの整備が進んだところもあるが
そのたたずまいに大きな変化がないのに何というかホッとした。
しかし・・・。

「本当になくなっている・・・。」

そう、独狐の湯だ。
湯は湧いているものの、そこはもはやただの河原だ。
台風による増水で東屋が流失し、
閉鎖状態になっているというのは聞いていたが、
実際にこの目で見てしまうと、結構ショックだ。
大学時代の仲間との思い出の場所でもあるし。
「馬」で閉鎖された入口のところには、
「独狐の湯は公衆浴場法にのっとった浴場ではありませんので
入浴できません。」
という「伊豆市」様からのこれまた冷たいお言葉・・・。
何か、さびしかった。
「時の流れ」を感じてしまった・・・。

27 January, 2005

ストーブリーグっていうのは「野球用語」なのかもしれないが、
J1では移籍のニュースが華やかだ。
今オフ、我が磐田は例年にない「動き」を見せている。
まるで今まで蓄えてきたものを全てはき出すかのように。
バックに巨大スポンサーがついているわけでもない磐田としては
こんなチャンスはそうそうあるものではない。
ぜひものにしてほしい。

さて、そんなオフをいかに過ごすか。
今回私は、別の「支店」の先輩たちに声を掛けていただき、
マイクロソフト杯準々決勝に出場した
「ヤマハ発動機ジュビロ」応援ツアーに参加させていただいた。
ちがうスポーツのちがう文化に触れるのも新鮮でいいし、
一度その会場を訪ねてみたいと思ったからだ。
会場は近鉄花園ラグビー場。
Jではかつて1度だけ使われたことがあるが
それ以外は私の記憶にはない、
まさに「ラグビー専用」スタジアムだ。
ところどころに「古さ」を感じるが、
それが逆に「聖地」としての風格を感じさせる。
ここで戦った多くの選手たちの思いや観衆の歓声が染みこんでいて
それが「気」となって発せられているようだ。
同じような「気」は国立競技場からも感じられる。
人生経験を積み重ねて変わっていく人間の顔のように
名勝負の舞台になることを重ねることにより
選手や観衆の様々な思い、多くの感動が染みこんでいき、
スタジアムの雰囲気も変わっていく、
そんなものかな、と感じた。
ちなみに今回の試合もすごいことに。
あんな大逆転劇、あるんだなぁ。
あのねばり強さ、サッカーチームの「ジュビロ」も見習ってほしい。
(っていうか、あの前半は・・・。)

30 January, 2005

「横浜国際総合競技場」での最後のAマッチがキックオフされたころ、
青の戦士たちには大変申し訳なくも、私は
越県合併で話題になった長野県木曽郡山口村から
岐阜県中津川市への、「あと16日の県境」付近の
国道19号を走行中だった。
ということで、今シーズン「初滑り」、である。
天候的には風が強かったり、吹雪いたりと
決してよいわけではなかったが、
リフトに乗っては滑り、リフトに乗っては滑り、という
まさに「鍛錬」のような感じで、
これでもか、というぐらいに満喫した。
おかげで今日は「バンテリン」が手放せない・・・。

ということで初滑りは楽しめたのだが
昨日、ゲレンデには不似合いな、制服姿の警察官が、
巻き尺等を手に現場検証している様子を見かけた。
衝突事故でもあったのかな、と思っていたが、
帰宅後、録画しておいたカザフスタン戦を見ていて驚いた。
ハーフタイムに挿入されたニュースで
その事故の様子を報道していたのだ。
小学生が立木に激突、意識不明の重体とのこと。
早く回復するよう、祈りたいと思う。