過去ログ August,2003

3 August,2003
9勝2敗4分、34得点17失点、得失点差+17
勝ち点31、第2位。
2003年度前期の結果である。
34得点、得失点差+17はリーグ1位。
そして2敗は名古屋と並んでリーグ最小の負け数。
最終的に「4分」という引き分けの多さが勝ち点を稼げない結果となった。
延長戦廃止は磐田にとって不利だというのは以前から言われていた。
90分で勝ちきる、これが後期の課題となるだろう。
なぜか(?)この国のリーグは年間優勝は年間勝ち点の総数で決まらない。
半期の優勝チームが決定戦を戦って決めるという方式をとっている。
ということで、まだまだこれから。
8月16日の後期開幕が「年間タイトル防衛」に向けてのリスタートとなる。
後期開幕戦は3大「アウェーを感じるスタジアム」である埼スタでの浦和戦。
18きっぷで乗り込むので、スタートダッシュを決めてほしい。

そして、今日が国内最終戦となった藤田俊哉選手。
今まで本当にありがとう。
「有終の美」ゴールとなった「ヘッド」、見事でした。
磐田の黄金時代はあなたあってのものでした。
そんなあなたと、これからの磐田を背負うであろう成岡君との2ショット、
最後数分間でしたが、胸にこみ上げるものがありました。
オランダに行っても「うち(磐田)から行ったFUJITA」として応援します。
9 August,2003

同窓会でなつかしい旧友に会った気分だった。
優勝を逃した翌日、残念ながらも満ち足りた気持ち(?)で磐田へ。
Jリーグ昇格10周年祭「最強への道程」
2位に終わった翌日ということを考えると、ちょっと名前はさびしいが、
それでも十分楽しませてもらった。
なつかしい面々が次々と目の前に現れる。
移籍していった現役選手は仕方ないが、
引退した選手はジェラルド以外、ほぼ勢揃い、ではないだろうか。
そして、あの頃のスピードはないにしても、
ああ、あの頃、ああいうパスがよく出てたよな、とか、
あんな崩しが見られたよな、とか
なかなか文章で表すのは難しいのだけれど、
VTRを見ているかのようによみがえる。
そして不思議なもので、
そのプレーを見ていたころの自分を思い出したりして・・・。

でも、久しぶりに見たプレーするドゥンガ、やはりすごい!
もちろん、今の磐田にも「中山雅史」はいるのだけれど、
あの憎いぐらいの余裕綽々さ、そして正確なロングパス、
あの敵チームをビビらせる存在感、今の磐田にほしい・・・。

11 August,2003

SBSカップ国際ユースサッカー2日目、U18日本代表vs静岡ユース代表。
日本勢どうしの対決だが、
地元出身者が多いこと、そしてNewわかふじ国体が迫っていることから
スタンドの雰囲気は静岡ユースびいきだった。
しかし、U18日本代表に1点を先行され、苦しい展開に、
後半ロスタイムに入り、スタンドも覚悟を決めつつあった。
そんな中での岡本君だったか、の同点ゴール。そしてPK戦での勝利。
藤枝総合運動公園サッカー場は大いにわいた。
「ホーム」の意地を感じた。
見に来ていた多くの子供たちには、夏休みのよいプレゼントになったと思う。
私自身もいろいろ感じ、学ぶものがある試合だった。

心はすっかり「19のままさ」といったところだろうか・・・。

懐かしい仲間たちが集まった。
もっとも、仕事の関係でちょくちょく顔を合わせる者もいるし、
大学卒業以来初めて会う、というわけでもない。
最近はメーリングリストを作って近況を報告し合うようにもなっている。
でも、一つのテーブルを囲んで酒を酌み交わし、
他愛もない話にケラケラ笑ったり、
懐かしの80年代の歌を熱唱したりしているうちに、
この部屋の空気ごと、時間があの頃にもどっているかのように思えた。

もちろんあれから確実に年月は経っている。
各自、プライベートな生活環境も大きく変わってきているし、
それぞれの職場でいろんな経験を重ね、
任される仕事の責任の重さも大きくなってきている。
激務からか、体を悪くして今日の集まりに来られなかった者もいる。
厳しい中でみんながんばってるんだなぁ・・・。

元気をもらった。
また、休み明けからがんばるよ!
次のこの会にも、笑って参加することができるように。

13 August,2003
18 August,2003

「明日は天候は回復に向かうでしょう・・・。」
このアナウンスを何日続けて聞いたことだろうか。
しかし、この日も雨は降り続き、回復することはなかった。
そして、その夜、大変厳しい現実を見ることになってしまった。

8月16日、この夏2度目のアウェー、埼玉スタジアム2002へ。
18きっぷを使って浜松駅を出発した。
しかし・・・降り続く雨のため、途中何度も「徐行運転」にはまる。
ついに興津駅で「運転見合わせ」に。
30分後、電車は動き出すものの、函南で折り返すとの情報。
ここでとることができる手段は2つ。
三島で平常通り動いている新幹線に乗り換え、小田原まで「ワープ」する方法。
もう一つは沼津から御殿場線経由で国府津に「バイパス」する方法。
18きっぷのルール上、新幹線に乗るには別料金が必要。
それにこの時点では時間的にもまだ余裕があった。
こんなことでもなければ御殿場線に乗るなんて一生ないかもしれない、
そう思い、「冒険」を選んだ。しかし・・・。
幸い、「途中で運転打ち切り」という最悪の事態は免れたが、
沼津から国府津までなんと約2時間。
埼スタ到着は18時過ぎ。約9時間の片道となった。
そんな思いをしてたどり着いた埼玉スタジアムであったが・・・、
そこで見たものは、1−3という厳しい現実だった。

よくないことはさらに続く。
帰りの王子駅ホームの電光表示に「ムーンライトながら」運休の知らせ・・・。
結局、「難民」となった自分は、急遽宿泊場所を探すことになった。

今後、ことあるごとに話題に上がることになるであろう、今回の遠征。
しかし、雨の中出掛けてエライ目にあった、ということではなく、
この敗戦を踏まえて、新生ジュビロが出直しを図り、
躍進が始まったということになれば、と願っている。

22 August,2003

「すごいじゃないか!」
ジーコ・ジャパンが3−0でナイジェリア代表をくだしたことではない。
試合自体は、一緒に見た友人の言葉を借りれば「見所がない」とのこと。
では何がすごいかというと、高原の2ゴールである。
1点目はアレックスから出されたパスから。
かなり無理な体勢で受けたので、コントロールが難しいだろう、と思ったが、
なんと彼は左足を振り抜き、ボールは見事ネットに突き刺さった。
あの無理な体勢から強引に持っていく姿、久しく見ていなかったなぁ。
そして2点目。俊輔からのクロスにドンピシャで合わせたヘッド。
フリーだったとはいえ、すばらしかった。
動き出しの速さなど、瞬間的な動きも速く感じた。
彼が磐田にいた頃にもああいうシュートはあったが、
ドイツでがんばってるな、というところを見せてもらった。
磐田を出て行く時には
ちょっとすっきりしないものを感じていた彼だが、
向こうでの苦労を乗り越えて大きくなっているように思える。
ハードスケジュールでドイツに戻ることになるが、
ぜひスタメン定着できるよう、がんばってほしい。

ジーコ・ジャパンについて?
実は私、もうあきらめようかと思ってます。
何をって?代表が結果を出せずジーコが解任されればいいのにと期待すること。
この先親善試合はもちろんのこと、東アジア選手権でどんな結果が出ようと
おそらくW杯予選まで彼の首を切ることはJFAにはできないでしょう。
じゃ、こっちも腹を据えて応援するしかないかな、と思い始めました。

24 August,2003

まずは結果にほっとしている。
2連敗、もしくは負けに続いて引き分け、では2ndは絶望的になる。
何はともあれ、勝ち点3がほしかった。
それがかなえられ、この先、ワクワクしながら秋が過ごせるかもしれない、
そう思うと、本当に安堵している。
また、選手からも勝ち点3への執念が伝わってきた。
バランスを崩しかけた服部が意地で西につなぎ、
その西はねばって中央に折り返す。
なんとしてもこのチャンスをものにしたいという気持ちを、
目の前の選手たちから感じることができた。
最後はゴール前につめたグラウがきっちり決める。
ありがとう!!そんな気持ちだ。
また、その後の1点を守りながらチャンスがあればあわよくば、という
メンバー交代と試合運び、
まずまず成功で、何よりである。
先週ショックを受けたであろうルーキー2人も、
これで自信をもち直せたのではないか。
ただ、この結果に浮かれてはいけない。
その1点を取るまでの内容は決してよくはなかった。
先週ほどのミスはないにせよ、
「攻めきれない」場面が目立った。
特にラストの2トップにつなぐパスやクロスの精度が悪すぎる。
水曜のナビスコもあるが、来週の京都戦に向けて、
しっかり修正してほしい。

31 August,2003
2003年の夏が終わった。
この夏は一つでも多くサッカーの試合を見よう、
ホームはもちろん、敵地を訪れてみようと思い、
「18きっぷ」を使って国立・柏戦、埼玉・浦和戦に「参戦」してきた。
その他SBSカップで藤枝、ナイジェリア戦で国立にも行ってきた。
自分でもよく行ったな、と思う。
そして、この夏最後の遠征は1000年の古都、京都だった。
結果は、・・・。
でも、今回の試合だけでなく、この夏の磐田を追ってきて思うのは、
もはや磐田は「2強」とか、「常勝軍団」とか言われるような
ずば抜けたチームではなくなってしまったということである。
かつては「負ける気がしなかった」という時期があった。
手こずるのは鹿島か本気になった清水ぐらい、という時期があった。
しかし今は・・・相手が降格争いをするようなチームでも、
大丈夫、と思えることはなくなってしまった。
攻撃の形が作れない、
俊哉の移籍、中山のけがなどによる戦力ダウン、
若手の育成がまだ間に合っていない、
いろいろ挙げればきりがないが、私が思うに、
「勝てなかった試合」は、攻められてやられてしまったのではなく、
大事なところでの「ミス」や「反則」から
「自滅」していったものが多いのでは、と思う。
「甘さ」があるのではないか?
中山雅史の早期復帰を祈りたい。
中山が復帰してもすぐにゴールの量産というのは
期待できないかもしれないが
彼がピッチに立つだけでチームの雰囲気は変わるんじゃないか?
と願っているのだが・・・。
9月は仕事の関係でスタジアムに通うことが困難になりそうだ。
でも10月に再び私がスタジアムに通うことができるようになった時、
また「ワクワク」してスタジアムに通うことができる、
そんなチームに早く立て直してほしい。