過去ログ April,2003

20 April,2003
かつて学生のころ、遠州地方を離れ、4年間、静岡市でくらしたことがあった。
街を歩き、いろんな店を飲み歩き(笑)、静岡という街を楽しんで過ごした。
でも、そのうちに、遠州人としてのDNAがそうさせるのか、
妙な対抗心が自分の中で起こり始め、
「静岡より、やっぱり浜松だよなぁ。」 なんて思ったものだった。
でも、そんな私も、その隣の町についてはちょっと違った思いをもっていた。
清水市。
コンテナが積みあげられ、輸出用の車がならべられた興津埠頭や
今にも石原裕次郎が出てきそうな日の出ふ頭の倉庫街、
停泊中の外国船、
ノスタルジックな清水港線の廃線跡、
ダイナミックに建設された、港沿いの産業道路、
港町独特のエキゾチックな雰囲気、
遠州灘とは違い波がおだやかで、富士山がきれいに見える三保の松原、
日本平や山原からの夜景・・・
遠州地方にない雰囲気をもつこの街には、
対抗心ではなく、一種、憧れに近い感情を抱いてきた。
だから、ダービーで戦う時も、エスパルスについては
J昇格時のあれこれなど、磐田とは過去にもいろいろあったが、
少なくとも私は、
あの憧れの街をホームタウンとしているチーム、と思って特別な思いを抱き、
だからこそ勝ちたい、と思ってきた。
でも、その憧れの街、「清水市」は残念ながら3月末をもって消滅した。
新「静岡市」がホームタウン?・・・ぴんと来ないなぁ。
もはや市民ではない私が言うのも何なのだが、
清水と静岡って、全くちがう空気をもっているように見えたのだけれど・・・。
なんてダービーの最中に考えてる私って??

でも、勝ってよかった。
福西・服部、効いてたよ、安封じ!俊哉、ゴールに向かう姿勢、これからも!
グラウ、しびれました!強烈ボレー!!
俊哉不在.・・・。
それを強く感じる一戦となった。
かつてはチャンスでシュートを打たず、ボールを回すなどして、
「?」
と感じた頃もあったが、今シーズンはちがう。
周囲との絶妙のコンビネーションでボールをつなぎつつ、
彼自身、ゴールをねらっていったり、
次の選手がシュートを打てるよう意識したプレーをしたりして
得点につながる場面をつくり出し、
存在感の大きさを感じさせている。
今日は彼抜きで何とか勝つことができて、よかったけれど、
今後の強豪との戦いに彼は欠かせない。
次節はJ1入り2年目とはいえ、いい形で点を取り続けている仙台。
(今日は負けたけれど。)
「優勝」をねらうためには絶対に勝たなければならない。
私も夜行バスで仙台にのりこむ。
俊哉がはつらつとプレーし、
今期初のゴンゴールで勝利を収めることを願いながら
北に向かおうと思う。
26 April,2003
30 April,2003

「5日も応援に行きますから、がんばってください。」
私が言えたのは、それだけだった。

4月29日19時過ぎ、仙台駅の東北新幹線上りホームに
戦いを終えたジュビロイレブンは現れた。
しかし、その表情は今ひとつだったように見えた。
今日の試合、途中まで決して悪くはなかった。
名波のビューティフルなFKで早い段階で先行した。
また、早めに相手のボールを奪い、
ポジションチェンジを繰り返しつつ、トリッキーなパスをつないで
幾たびかのチャンスを創り上げた。
ただ、流れの中ではどうしても決められず、追加点を奪えなかった。
そして後半20分過ぎ、徐々に流れが悪くなり始める。
ボールを奪われ、それを追う場面が多くなる。
そして痛恨のファール、PK。結局勝ち点2を失う形になった。

俊哉や、グラウ、そして「あの」名波も、笑顔で握手に応えてくれた。
しかし、私には中山の表情はさえないように思えた。(西や河村もだが)
いつも元気をもらう彼に元気を出してもらいたかったが、
「大丈夫だよ、そのうち入るって!」
なんてことは言えるわけないし、
結局、気の利いた台詞を言うことはできなかった。

はやて、ひかりを乗り継いで浜松まで彼らと同じ電車に乗りながら、
どんな言葉を掛けてあげればよかっただろう、
なんて考えて、今年の大遠征は終わった。

5日、エコパで!!