W杯初観戦!そして日本初勝利!!
日本vsロシア@横浜
Part 2
2つ目のゲートをくぐった後、いつも通りの競技場への階段を上ります。でもふり返ってみるといつもとは全く異なる光景が広がっています。「自国開催のワールドカップ」を感じます。
競技場の入口、3つ目のゲートを前に。手にしているのは川沿いの道で行列をつくり待っている時に、配られたもの。どこかの幼稚園の子が赤いクレヨンで塗った日の丸でした。
競技場の入口である、3つ目のゲート。いよいよワールドカップの会場へ入るのだという喜びと緊張感に包まれながら列に並ぶ。何のおとがめもなくチケットを切り取られ、いよいよ中の通路へ。
自分の席に着いた後、まわりにロシア人が多いのがちょっと気になりつつ記念撮影。背番号(胸番号?)10が誇らしげです。
試合前の横浜市(?)の歓迎イベント。おみこしはロシア人にもうけていました。
日も落ち、とっぷり暗くなってきました。間もなく選手入場です。
選手入場です。ものすごい歓声が横浜国際を包みます。
前の席のロシア人がものすごい盛り上がりで圧倒されました。ロシア協会から流れたチケットだっただけに多少の覚悟はしてましたがここまでとは。うるさいホーンと「ロ・シ・ア!」コール、強い香水のにおいとスタンドでスパスパ吸われるタバコのにおいがたまりませんでしたが険悪な雰囲気になることもなくボディ・ランゲージでコミュニケーションをとりながら平和的にやれました。ハーフタイムには近くの日本の子どもと記念撮影をしていたり、試合終了後は若い兄ちゃんとユニフォーム交換をしていたりして(マスターカードのCMの見過ぎか)。でもあの背のでかさで頭上に国旗を掲げられると何も見えず、つらかったです。
小泉首相も貴賓席から観戦する中、キックオフです。胸を締めつけるような思いの中、あっという間の前半45分でした。稲本のゴールの時はボールがゴールに突き刺さり、ネットが揺れるのがはっきりと見えましたが、第一戦の時のことを思い出し、副審が中央に戻るのと、オーロラビジョンで発表されるのを確認してから、本当にゴールなんだ、と日の丸を手に喜びをかみしめるというものでした。その後のタイムアップまでは、早く終わってほしい、でももっと見ていたい・・・という気持ちでハラハラしながら見ていました。戸田のPKすれすれのタックルやサイドネットを揺らした敵のシュートには、本当に肝を冷やしました。
稲本はもちろんですが、戸田、明神が効いていました。宮本も修正してきました。そして今日は不発でしたが鈴木隆行が相変わらずよく動く。これが後半に向けてじわじわと効いていった、そういう試合だったと思います。活躍はなかったですが、中山の投入の時の地響きのような歓声にも感動しました。彼がワールドカップでプレーする生の姿を見ることができた記憶は、自分にとって宝物となりました。終了のホイッスルはよく聞こえませんでしたが、選手のガッツポーズで試合終了を確認。ホッとすると同時に夢のような時間が終わってしまったのだなぁと思いました。雄叫びをあげすぎ、声が枯れてしまいました。本当に一生忘れることのないいい時を過ごせた、と思います。
試合後はその余韻を楽しむべく、しばらくいすに体を預け、その場の空気を楽しんでいましたが、潮が引くように人も少なくなってきたので、ゆっくり体を起こし、出口へ向かいました。入る時、あれだけ緊張に包まれて通ったゲートはすっかりお祭り状態でした。ボランティアの人たちとタッチを交わしながらゲートを出ると、知らないもの同士でも関係なし。病院の方には申し訳ないと思いつつ、この夜ばかりは日の丸を頭上に掲げ、応援ソングなどを皆で歌いながら新横浜へと向かいました。
しかし・・・その後がよろしくない。私は「号外」がほしくて、一回駅まで戻った後もう一度引き返したのですが、そこはさっきとは違う状態になっていました。泥酔した者、どう考えてもスタジアム帰りではない、ただ騒ぎに加わりたいだけのためにやってきたような者(服装、言動から考えて私はそう思った)、挙げ句の果てには暴走族っぽい輩まで・・・不穏な雰囲気になっていて、身の危険も感じ、ホテルに戻る終電の時刻も迫っていたので、その場を離れましたが、結局あの後、警官隊と衝突があり逮捕者も出る騒ぎになったようです。残念でした。
とはいえ、最高の夜だったことは確か。青ユニを着たままホテルに堂々と凱旋。祝杯も進みました。